戦国筒井氏年表 No.2
応仁元(1467)年〜文明九(1477)年
* 印は閏月を示します。
西暦和暦日付事績
1467 応仁1 1/8 政長が管領職を免ぜられる。
    1/17 義就・山名宗全らと政長が京都で戦い、敗れた政長は光宣の計らいで19日に細川勝元邸に隠れる。
    5/25 細川勝元方が反撃、光宣の計略で一色義直邸を攻める。※応仁・文明の大乱始まる。
1468 応仁2 7/10 幕府が斯波義廉を廃し細川勝元を管領とする。
1469 文明1 11/20 成身院光宣が没す。享年80歳。明舜房順宣(順盛)が跡を嗣ぐ。
1470 文明2 8/5 政長(東軍)方若江・誉田城を越智家栄・西軍方が攻める。
    9/13 西軍方支配下の木津へ仁木氏(伊賀守護)・狭川氏が出陣、順永も加勢するが西軍方優勢。古市氏は西軍方に加担する。
1471 文明3 6/22 義就の将遊佐五郎が河内へ侵入し放火、順永・十市遠清・箸尾為國らがこれを迎撃する。
    7/20 順永・十市遠清・箸尾為國らが遊佐五郎を追って河内へ出陣、若松城を落とすが翌日帰陣する。
    *8/4 布施氏が万歳氏を攻める。布施方は箸尾・楢原・倶尸羅・十市・筒井・前高田、万歳方は越智・八田・飯高・古市・吐田・小泉・当高田と見える。前高田は布施高田、当高田は当麻高田か。
    12/20 越智家栄が義就と謀って宇智郡へ兵を進めたことに対し、将軍義政が大乗院に討伐の命を下す。
1472 文明4 8/28 沢・芳野氏が宇陀郡で戦う。国人衆も巻き込んだ合戦となり、沢氏が勝利する。
    10/16 順永が南山城下狛の大北城を攻略、大内氏代官杉十郎は自害するが来援した杉右京に敗れる。
1473 文明5 3/18 西軍の主将・山名宗全が没す。享年73歳。政豊が跡を嗣ぐ。
    5/11 東軍の主将・細川勝元が没す。享年44歳。政元が跡を嗣ぐ。
    8/27 大乗院門跡・経覚が没す。享年79歳。
    11/4 順永が河内に出兵し、西軍方と野崎(現大東市野崎)で戦う。
1474 文明6 6/1 大和国内各所で争いが起きる。窪城と山田、秋篠と和田・山城山田、豊田と法貴寺、十市と楊本・福智堂・豊田、布施と越智、楢原と室など。
1475 文明7 5/2 吐田・楢原氏が合戦。吐田方には越智・古市氏が、楢原方には河内・紀州勢が合力、順永は木津の大内勢に備えて大安寺に布陣する。
    5/14 東軍方成身院順宣・十市遠清・箸尾為國らが西軍方越智家栄・古市胤栄らを春日社頭で破る。順永の子舜覚房(順尊)・佐川衆らは大内氏の兵を下狛・天神河原で破る。
    6/8 順尊が万歳城を攻めるが敗れて追われ河内へ逃げ込む。
※この時期の大和国人衆の動向として「越智之一門 吐田 曽我高田 小泉 高山 万歳 岡 古市 山田 山陵、筒井之一門 十市 楢原 布施 高田 秋篠 宝来 木津 立野 箸尾 片岡 超昇寺 佐川」と見える。
    9/1 筒井氏が福住館に入る。山田氏と矢戦がある。
1476 文明8 4/5 筒井順永が没す。享年58歳。跡を順尊が嗣ぐ。
1477 文明9 10/7 義就方と政長方が河内で戦い、義就方が誉田城を落とす。誉田・古市氏は追われ、宇智郡の杉野氏らは自害。順尊は教興寺から追い返される。
    10/9 義就方が嶽山城を落とす。攻め手に吐田氏の名が見える。また往生院城・若江城も落とされ遊佐長直・平群嶋氏が没落。
    10/13 義就方の攻勢に宝来・木津・筒井氏以下が自焼没落、成身院順宣も没落する。
    11/11 大内氏ら西軍諸将が領国へ戻り、西軍優位のうちに応仁・文明の大乱が終息。
※この年以降没落した国人衆として「筒井 成身院 安楽坊 中坊 嶋 萩別所 小林 辻子 宝来 木津 箸尾 金剛寺 曾部々々 北院 小南 今市新 六条 掘」と見える(木津氏は山城国人)

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